統一経済理論

統一経済理論は経済の仕組みを初めて解明した経済理論です

序論

経済行為は一人では成立しません。
物事の売買、お金の使用、契約、取引、物々交換、雇用関係、貿易など全ての経済行為は一人では成立しません。
「一人では成立しない」ということは裏を返せば「必ず相手がいる」ということになります。

この「必ず相手がいる」という状態を抽象化すると、人と人との間には繋がりがあると捉えることができます。

ここでさらに「人と人との繋がり」について突き詰めて考えてみましょう。

このように突き詰めていくと、人と人とが繋がる現象のはじまりは男女間の繋がりにその答えを求めることができます。
人間にとって最も原始的で強力な繋がりは男女間の繋がりです。

ここで発想を転換してみると、この誰もが持つ「つながる力」を利用すれば、強力な結びつきを持つ社会を構築できるのでは?と考えることができます。

これから説明していきますが、実はこれが経済というものの本当の姿になります。
結論から述べると、経済とは男女間の繋がりを応用した人と人との繋がり、総じて人のネットワークというのが答えになります。

経済という現象は、時代・地域・人種を問わず観測されるので、人間にとって自然な行為といえるでしょう。
「1人では成立せず人間にとって自然な行為」といえば、少しは気付くのではないでしょうか

単純に社会の仕組みを理解したいという発想でも、社会という言葉には「人と人とのつながり」という意味もあるので、結局は同じ結論に達するでしょう。

つながり

経済の仕組みを解明するにあたって、最初にどこから着手すべきなのかは最初の難関です。 経済といえば、お金・生産・労働・資本・企業・市場などがすぐに思い浮かぶでしょうが、当理論の経済へのアプローチは「相手がいること」になります。(二者間主義)

例えばお金を起点にしたらどうなるかと考えると、お金それ自体は単なる物質で特に意味がありません。渡す相手がいて初めて意味のあるものになるので、お金を起点とするには無理があります。お金が存在しない初期の段階や、バーター取引(物々交換)が説明できないという問題点もあります。

既存の経済学の多くは「個人」に着目して話を組み立てていましたが、 経済行為は一人では成立しないので、個人ではなくつながりに着目することで、経済の仕組みを説明できるようになります。

既存の経済学をみてみると、最初のアプローチの部分から間違えているため、後続するものが全て間違ってしまう、もしくは矛盾を抱えたものとなり、学問として成立していないのが現状です。

個人は「つながる力」を既に持っていて、この自然の力を応用しているのが現実の経済です。
それを説明していくのが「統一経済理論」になります。

学問的にいえば男女関係をモデルにおくということです。
男女の繋がりは人間の本能であり、普遍的かつ現実的なものです。これを基盤としている限りにおいては、その応用も普遍的かつ現実的であり、当経済理論の正当性を保証する根拠になります

自分に必要な物を自分で作るような、一人で完結してしまう行為は「自給自足」と呼び、経済の対義語となります。
ネットワークの対義語がスタンドアロンのようなものです。

経済によくある南北問題は自給自足率の問題で、南側は太陽がよく働くため自給自足率が高くなり、経済が発展しにくいのです。
仮の話ですが、全ての人が自給自足で生活できるなら経済は存在しないでしょう。

既存の経済学との違い

統一経済理論はこれまでの経済学とは違い、まったく新しいアプローチで望むので、これまでの経済学とは関係がないと思うでしょう。 しかし既存の経済学の原点に立ち返ってもう一度よく考えてみると、少なからず関係にあることに気付くでしょう。

以下は経済学の歴史上で特に有名な概念を男女関係に置き換えて説明したものになります

どれも意味は通じると思います。これを偶然と捉えるか必然と捉えるかは、まだ判断できないと思うので、さらに事例を挙げていきます


経済学を学んだ人なら誰でも知っているような「競争」という概念も、男女関係から導き出すことができます。 例えば、異性を巡って争うこともあるでしょう。これは一番分かりやすい競争の例です。 またセックスを客観的に見ると男と女が争ってるように見えるのですが、実はこれもまた競争なのです。 経済でいえば、前者は同業者間での競争であり、後者は買い手と売り手間の競争といえば通じるかと思います。

「インセンティブ」という、これまた経済学の初歩的な概念ですが、これも男女関係から導き出すことが可能です。 詳しく説明するまでもなく、男女間はインセンティブの塊です。例えば、男なら女の裸に対して強く反応するでしょう。これはインセンティブです。 またセックスを行えば気持ちよいでしょう。これもまたインセンティブです。インセンティブがあるから男女間は自然と結びつくようになっています。 経済は男女関係を応用したネットワークなので、経済にとってインセンティブが重要なのは当然のことになります。

最近の経済学に目を向けると「幸福」という概念をよく聞きますが、経済と幸福との間に何の関係があるのか?理解するのが難しいと思います。 しかし経済の仕組みが男女関係にあるということを知っていれば、セックスすると特に女性は幸福になるので、幸福と経済との間には大きな関係があるということが分かります。

経済学にはゲーム理論という分野もありますが、ゲームといえば要は駆け引きのことです。 駆け引きといえば恋の駆け引きという言葉が有名ですね。男女間で様々な駆け引きが行われているので経済でも様々な駆け引きが行われているということです

進化経済学というのもありますが、生物の進化論と経済学は似ているという話です。 生物の進化論といえば遺伝や子孫といった繁殖の話となり、当経済理論と同じといっても過言ではないでしょう。


既存の経済学を学んだ人に経済学の感想を尋ねると「非現実的」「数学的」「役に立たない」といった意見をよく聞きますが、 統一経済理論は「現実に即し」「社会的」「役に立つ」、経済の仕組みを本当に知りたい人向けの理論となってます。

利己的と利他的

左派右派
利他的 自然的利己的 人為的

セックスは利己的な行為か?利他的な行為か?と尋ねると、多くの人は利己的な行為だと思うでしょう。
確かに人間というものは性欲が高まってくると「ヤリたい」と思うので、これは利己的な気持ちということができます。

しかし実際にやっていると、例えば男なら「相手を気持ちよくさせたい」という気持ちを持つことになるでしょう。
相手を気持ちよくすれば嬉しいし、相手を気持ちよくさせなければセックスは本当に成功とはいえないでしょう。このような気持ちは利他的であるといえます。

セックスが利己的な行為か利他的な行為かは、哲学的であり難しい問題かと思います。
ヤリたいと思わないと(=利己的でないと)そもそも始まらないし、相手を気持ちよくしなければ(=利他的でなければ)成功しません。
セックスは利己的であり利他的でもあり、両方の性質をもっているといえるでしょう。

この「利己的であり利他的でもある」という性質は、経済にも当てはまることです。

例えば商売と聞くとお金儲けのイメージを持ち、利己的な行為だと思う人が多いでしょう。これはこれで正しいのです。
しかし実際に商売を行ってみれば分かることですが、客が欲しいと思う商品を提供しなければ(=利他的でなければ)売上は上がりませんし、 従業員に満足するような報酬を与えなければ(=利他的でなければ)人は離れていきますし、利益を上げて配当を出していかなければ(=利他的でなければ)資金を出してくれる人もいなくなります。

経済もまた利己的であり利他的でもある両方の性質を持っているのです。


なぜこのような話をしたかというと、経済論争で意見が分裂したり、旧来の経済学が分裂したりする根源が「人は利己的であるか?利他的であるか?」に因ることが多いからです。 人は利己的であると言えますが、つながりを成功させるとなると利他的でもあるのです。人は本能的に両方の性質を持っているのです。

何も知らないと「利己的かつ利他的は矛盾するのでは?」というのが率直な意見だと思いますが(いわゆるアダムスミス問題)、 これが矛盾することなく同居できるのは男女関係がそうなっているからです。

このように経済・男女間において矛盾を抱える概念は他にもあり、例えば競争性と協調性もそれに該当します。
また矛盾を抱えてるが故に、論理的に説明することも不可能です。

仮にですが、人間は単に利己的であるとして話を進めていくと、最終的には戦争に行き着きます。
経済というものは人間が持つ利他性を上手く活用している点が画期的で、ここが経済と戦争の大きな分岐点となります。

ただ単に人間は利己的なだけとすると、力の強い者が弱い者から奪うのが自然です。動物の世界が弱肉強食なのと同じことです。
このような争いも最初は1対1から始まるのですが、人はつながる力を有しているので多勢で手を組んで強者に打ち勝つという流れになって、これがエスカレートしていき大きな争いへと発展いくことになります。

男女関係について十分に理解すると、性欲は食欲を発展させたものであると推測が付きます。そして性欲は結果的に生産的、食欲は結果的に破壊的です。
性欲を応用したネットワークが経済ならば、食欲を応用したネットワークが戦争と推測できます。

相互主義

いきなりですが、セックスはなぜ成立するのでしょうか?
結論から述べると、次のような感じになるでしょう。

  1. お互いに信用が必要 (信用がない相手とはできません)
  2. お互いに性欲が必要 (性欲とは異性が欲しいということです)
  3. お互いに気持ちいい (双方にとって利益があるということです)

ここで重要なのは「お互いに」ということです。どちらかが欠けると、途端にセックスは成立しなくなります。
セックスが成立するには、お互いに信用があり、それぞれ相手を欲しいと思い、二人とも気持ちいい(=相手の性欲を満たす)ということになります。

このような形を相互主義と呼び、統一経済理論における重要な概念となります。

需要と供給

「消費者と販売者による物の売買」という一番身近な例をあげて、需要と供給について説明していきます。

言葉の定義
需要欲しいと思い、手に入れようとすること
供給相手の欲求を満たすこと

この取引において「物」について着目すると、消費者は物が欲しいから買うわけで、消費者は物の需要者といえます。
それに対し、販売者は物の供給者といえます。

今度は「お金」に着目すると、販売者はお金が欲しいから販売しているわけで、販売者はお金の需要者といえます。
それに対し、消費者はお金の供給者といえます。

以上を整理すると、次のようになります。

消費者物の需要者 かつ お金の供給者
販売者お金の需要者 かつ 物の供給者

この例のように、経済的な取引では「お互いが需要者であり供給者でもある」のが特徴です。
お互いに相手のモノを欲しいと思い、お互いがそれに合意し、それを同時に満たす形になります。(相互主義)


男女関係を需要と供給に例えると、お互いに相手が欲しいという「需要者」であり、お互いに相手の性欲を満たす「供給者」となります。
経済といえば需要と供給が全てといっても過言ではないのですが、需要と供給の元を辿れば、このように男女関係にあります

また、男は女を入手し、女は男を入手するので「交換が成立する」ともいえます。
例えば彼女ができれば、彼女は俺のモノと思うでしょうし、所有権も主張するでしょう。これは女側であっても同様です。

このように男女関係とは、人間による本能的な交換メカニズムということができます。

経済が何故、交換・所有で成り立っているのかという初歩的な疑問も、以上が答えになります


この章で述べた1対1の接続を理解すればあとは簡単な話です。 すべての人が同一ルールでつながるということは、あなたは全ての人とつながることが可能であり、その相手もまた全ての人とつながることが可能なのです。 つながりが連鎖的に発生することにより、結果的にネットワークと呼ばれるものが形成されるのです。これが経済なのです。

経済学と悪

エロいことやセックスと聞くと汚いこと・悪いことという印象があるでしょう。
経済も同じようなもので、お金には汚い印象がありますし、お金儲けという言葉には悪い印象が付いて回ります。

一般的に、経済活動を行っている最中は自分が悪いことを行っているという意識は微塵もないのですが、お金儲けや私服を肥やすといった自己の欲求を満たすような行為は道徳で「悪」とされることが多いです。

そもそも、自己の欲求を満たすような行為がなぜ「悪」とされるのか?という話ですが、これは難しい問題ですが、 人間は性欲を満たすと罪悪感や嫌悪感を感じることがあると思います(もしくは沢山食べるとお腹が痛くなる)。このような本能的な経験から、自己の欲求を満たすような行為を連想的に悪としていると推定します。

以上のような人間の性質から、経済と悪とは切っても切れない仲なので、悪とは仲良くしていく必要があります。
道徳的に善だから経済的にも善であるとは必ずしも言えないのが経済です。道徳的な善を盲信するのではなく、経済やセックスを悪の視点から眺めてみると、より人間や社会に対する理解が深まることでしょう。

最後に補足しておきますが、自己の欲求を満たすような利己的な行為を悪とするならば、その反対である利他的な行為は善となります。
以前に説明したように人間は利己的・利他的の両方の側面を持っているので、経済は道徳的にいえば悪でもあり善でもあります。

「自己の欲求を満たすことは悪」という考え方は、宗教でよくある考え方です。
宗教ではそれに対比する考え方として「自己の欲求を満たさないことは善」とすることが多く、ここが経済学の考え方と違うといえます


経済学の歴史を紐解くと、このような人間の悪の話から「私悪すなわち公益」→「見えざる手」という話が生まれて、これが経済学のさきがけといえます
「私悪すなわち公益」は蜂をテーマとした話なのですが、蜂といえば集団で行動する社会的な動物になります。
蜂の社会を観察していたら、高度に分業がなされて1つのネットワークを構築している点も含め、人間の経済社会と本質的に同じであったという話です。 これは経済学的にとても重要な話で、人間もまた蜂と同じく社会的な動物であることを示唆しています。

蜂のネットワークの中心には唯一卵を産める女王蜂が存在するので、蜂のネットワークは経済と同じく繁殖本能を応用したネットワークなのは予想が付くでしょう。

「私悪すなわち公益」「見えざる手」という概念を男女関係で説明すれば、エロいことや気持ちいいこと(=私悪)をしてると子孫繁栄(=公益)に繋がるということです。 個々で悪いことをしていると、それが全体の繁栄に繋がるという、経済学において最も理解しがたい概念だと思います。

経済とインターネット

現在には「インターネット」というネットワークがあります。この文章もインターネット経由で読まれているでしょう。
ではいきなりですが、インターネットの仕組みを説明するにはどうすればよいでしょうか?
知っている人は知っていると思いますが、インターネットの仕組みはIP・TCP・HTTPといった接続ルールです。
これがインターネットの仕組みを説明する唯一の方法です。

同じように「人のネットワーク」である経済の仕組みを説明するには、人間の接続ルールから説明するのが唯一の方法となります。
人間の接続ルールは見ることはできないので、実際に実行してそこから逆算していく方法で求めていくことになります。

統一経済理論はインターネットに例えるとTCP・IPレベルの話をしているといえば、分かる人には分かってくれるでしょう

インターネットを定義すると「インターネットプロトコル(IP)を応用したコンピュータのネットワーク」というのが最も妥当でしょう。
統一経済理論においては経済を「男女のつながりを応用した人のネットワーク」と定義しますが、これはインターネットの定義と同類です


ネットワークの一般的な要件としてはノード・リンク・フローの3要素が挙げられます。
それを経済に当てはめると、ノードは人、リンクは交換(売買など)、フローは物流やお金の流れに該当します。
これが経済がネットワークであることのシンプルな証明になります。


インターネットに接続すれば様々な情報にアクセスできるのは、クライアントとサーバがネットワークを介して繋がっているからです。
経済も同様で、お店にいけば様々な商品を購入できるのは、消費者と生産者がネットワークを介して繋がっているからなのです。

経済もインターネットも一見すると複雑なシステムのように見えますが、その実態は全ノードが隣のノードと何かを交換しているだけという単純な仕組みです。 ネットワークはよく雲(クラウド)に例えられますが、雲は遠くから見れば複雑な形状をした塊に見えますが、その実態は水分子同士が結合しているだけという話と似ていたりします。

ネットワークの種類は大別すると中央集権型のネットワークと自律分散型のネットワークに分けることができます。
中央集権型のネットワークを経済に当てはめると計画経済(社会主義経済)のことであり、それに対する自律分散型のネットワークは自由経済ということができます。 当理論で経済と呼んでいるのは、もちろん後者にあたります

中央集権型のネットワークの例としては水道網を挙げることができます。ノードはダムなどの水源や取水場や蛇口、リンクは水道管や川、フローは水の流れです。 水源を中央とした一方向的な流れのネットワークです。経済とは対比的なので、参考にイメージできると良いでしょう。

コンピュータ1台では処理能力に限度がありますが、複数台でネットワークを組むことによって、より大きな処理を行えるようになります。
経済も同様に、人間1人ではできる仕事に限度がありますが、複数人が協調することで(=ネットワーク化することで)より大きな仕事を行えるようになります。 このようなネットワークが多数存在し、それぞれ結びついて全体として1つのネットワークとして機能している、これがインターネットや経済と呼ばれるものです

経済はあまりにも複雑でなおかつ中央部も存在しないため、消去法的に自律型のネットワークと判断してもよいのですが、現在にはインターネットという好例があるため、それと経済とを比較してみるのが分かりやすいと思います。
自律的・分散的・協調的・相互的・自由な参加・複雑系・ネットワークのネットワーク・バケツリレー・世界規模・最大のネットワーク・物理層とコンテンツ層の両方に対して中立的…

少し難しい話ですが、インターネットにおける接続ルールは多層構造になっていて、IP→TCP→HTTPという構造でホームページのアクセスを実現しています。 経済も同様で、最も下層に男女間のつながりがあり、それを応用することで経済的な行為(売買・取引など)が実現されています。
これは、男女関係から経済事象を演繹的に算出できること、または、経済事象から男女関係を帰納的に算出できることを意味します

統一経済理論を理解する

統一経済理論は、男女関係を理解することが基本となります。
そこさえ理解すれば、その応用である経済を演繹的に算出できるようになります。

現実の経済問題を解決したい場合も同様です。
経済的に何が正しいのかを判断する基準も、経済を男女関係に照らし合わせてみる手法で得られることになります。

経済学は元来、哲学から派生して誕生したように、統一経済理論もまた男女関係という哲学から派生していきます。
経済学を建造物に例えると、1階部分は哲学となります。1階部分の哲学をきちんと構築してから2階・3階と構築していく必要があります。


前置きが長くなりましたがここからが本題です。統一経済理論を理解するにはどうすればよいかです。

男女関係においては、異性というのはよく分からない不思議な存在です。
そこで異性をよく観察し、本心は何を求めているのかを考え、それを提供し満足させることができるのかが最初にやるべきことです。

  1. 異性に対する扱いやセックスが上手くなる
  2. それがなぜ上手いのか自分の言葉で説明できる

統一経済理論においてはこれが勉強です。 さまざまな経験をして、異性をモノにする能力を身に付けることが第一です。いわゆるコミュニケーション能力であり、相手の心を開く能力のことです。

異性と接したりセックスしたりすることは誰でも行うことはできますが、本能的であったり本人の魅力が問われるものなので人によって上手い下手の差が大きいものです。 また、とても個人的な領域なので教えることも困難であり、自力でどうにかするしかない面もあります。

上手くできるようになったら、それがなぜ上手くいくのか?を考えるのですが、ここが最難関な所です。 自分(自性)のことは自分の胸に手を当てて本心を問いただしてみれば分かると思うのですが、自性だけでなく異性のことも十分に理解する必要があります。 異性の立場に立って、異性の気持ちを冷静に考えることができるかが求められます。

これまでの経験を元に自分の頭の中だけで考える作業です。時間にすると1000時間単位は必要でしょう

相手の立場に立って考えることは難しいことです。それがさらに異性となると、なかなか冷静になれないのが人間です。 異性の本音を探るために異性が多いコミュニティを覗いてみたりするのも有効でしょう。よく観察し、よく考えるのです。

男女関係は様々な側面から説明できるので、多くの視点から説明できる能力が求められます。()
このように男女間のルールへの理解が経済学における基礎能力となります。

男と女ではルールが違うこともあれば、共通点も見つかるでしょう。 男女に共通していれば人類共通ということができるので、そこから経済理論を構築していくことができます

男女関係と経済の両方に対する理解を深めていくと、両者がよく似た関係にあると掴めるようになります。まとめを参考に
そして両者を融合させることによって、経済というものを理解することができるでしょう。

理科系では実験・観察・考察という手法で学んでいきますが、これは経済学でも同じです。ただし人間相手に実験はできないので、そこは経験となります。

経済は科学的に説明できない

経済は人間のネットワークです。
ここで経済を科学的に説明しようとするならば、まず先に人間を科学的に説明する必要があります。
人間を科学的に説明するとは、例えば、自分自身をプログラミング言語で記述して、全ての入力に対して正しい出力が得られるかということです。 簡単にいえば自分自身のクローンロボットを作れるかといったとこでしょうか。要は再現性がある形で人間を表現できるかです。

しかしこれは無理な話です。自分自身すらも科学的に説明できないのに、他人を科学的に説明するとなるとさらに無理な話です。
人間を科学的に説明できないということは、経済もまた科学的には説明できないとなります。

これは経済の仕組みを理解すると言えることですが、経済的行為は当事者同士の合意によって成立するので、 例えば何と何とが交換されるのか(=価格がいくらになるのか)という命題も、当事者同士で決めるというのが答えです。なので当事者を再現する必要があるのです。
男女間に例えるなら、誰と誰が付き合うかという話は当事者同士で決めるのが原則ということです。

このように経済は科学的には説明できないので、再現性のある形で説明することもできません。
よって将来のことを今に知ることも不可能です。

これらの問題は競馬の予想と同じことです。
競馬をコンピュータでシミュレートしたとしても、それが現実とは一致しない(=再現性がない)ので、非科学的なのです

過去のデータから何らかの法則を見つけ出すという方法も良く見られますが、競馬の予想とまったく同じで、非科学的です。

統一経済理論では以上の理由により、経済は科学的・数理的に説明できないとします。


また、経済を科学的に説明できないのは、経済が宗教の一種であるのも理由の一つです。

例えば「お金」というものは誰もが持っているモノですが、なぜ「お金」に価値があるのかと問えば「みんなが価値があると思っているから価値がある」という話は有名なので知っている人もいるかと思います。 「価値があると思っている」とは、良い言葉でいえば「信用している」、悪い言葉でいえば「騙されている」のです。このように経済は思い込みで成り立っているので宗教の一種といえるのです。

経済は信じることで成立してるということは、逆に言えばみんなが信じなくなれば経済は破綻するということです。
ハイパーインフレやバブル崩壊は有名な例ですね。紙幣は信用を失えばただの紙切れです。企業も信用を失えば破綻するでしょう。
男女間も信用を失えば関係が破綻するでしょう。

人が信じるか信じないかで結果がまったく異なるので、経済は宗教の部類ということです。
このように経済は宗教の一種であると捉えることができれば、経済を科学的に捉えるのは的外れだと納得できるかと思います。


経済が思い込みで成立しているのは、もちろん男女関係が思い込みで成立していることに由来します。

簡単な例を挙げると、女が行うメイクは典型的な例です。男からするとメイクがバッチリ決まっている女を見れば、キラキラ輝いて見えるのですが、メイクを落とした時に落差が大きいとガッカリすることはよくあることです。

女が行うメイクとは、男を信用させるものであるのか、はたまた男を騙すものであるのかは難しい所ですが、そのような錯覚と思い込みが男女関係の起点となっているのも歴然たる事実です。

まとめ

当理論で紹介した男女間と経済の相似点をまとめると、利己的・利他的・利益的・相互的・合意的・自律的・協調的・誘因的・生産的・繁栄的・自由的・自然的・本能的・欲求的・交換的・所有的・競争的・ゲーム的・信用的・錯覚的などです。 まだ例を挙げることもできますが、これだけ状況証拠が揃えば証明としては十分でしょう。

経済の仕組みは物理的なものではないので、物的証拠による証明ができません。 そこで、もう一つの証明方法である状況証拠による証明を採用してます。

この証明により経済の仕組みは「男女の繋がりを応用したもの」となります。誰でも知っている接続ルールが基盤です。
またその結果として自律型のネットワークを形成するので、経済とは「男女の繋がりを応用した人のネットワーク」というのが結論です。

我々が経済と呼んでいるものの正体は「人のネットワーク」ということです。

おわりに

経済学を見ていたら未だに経済の仕組みが解明されていなかったので、その仕組みを解明してみました。

統一経済理論 作者 --- 森岡 寛